就業格差について【HR/vol.10】

最近お近づきになれたナイスガイ、小室吉隆さんのご好意で大人の勉強会「Knowledge Commons」にて人材業界についてちょっとした勉強会をするかもしれないです。いつも参加されるのがエッジの効いた方々なのでいまから緊張しています。私は特別HR業界に知識が深いわけでもなんでもなく、日々調べたりしたり見聞きしたことを中心にまとめて情報を発信しているだけなので大した内容にはならないと思いますが、せっかくのチャンスなので頑張ります。
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なんとかブログも10回目になりました。タイトルの内容に戻りますが、なんとなくみんな雇用されることに関する不安や憤りみたいな何か得体の知れないものを感じながら日々過ごしているんではないかなぁと思っていますがどうでしょうか?
リーマンショックあたりから完全失業率はちょいちょい上がり、5%前後といったところでしょうか?数的にはアメリカなどに比べると良いような気がしますが、日本で職を失うということは
「社会での自分の席がなくなる」というぐらい精神的な脅迫観念があると思います。

もちろん、失職すれば失業手当ももらえますが、それも長期化したらかなり厳しいことになります。ハローワークなどで申請をすれば基金訓練生など、様々な制度を使って職業訓練を積むことができますが、それが、理想の就業に結びついているかというと正直「??」な感じもしてしまいます。たとえば、事務職の募集があったとして・・

「OAソフトは使いえませんが、先月まで勤めていた事務の就業経験は5年です。」
「未経験ですが、OAソフトの訓練を受けてきたのでこの仕事に就きたいです!年齢は30歳で就業経験はありません!」

どっちを採用するかということです。国の制定した就業支援策と福祉政策は本当に仕事に困ってる人にリーチできているのかいうと難しいと思います。


話は変わりますが、昨晩、姉と弟と一緒にお酒を飲む機会がありました。姉は横浜の法律事務所で事務スタッフ兼弁護士秘書のような仕事をしています。民事・刑事両方を扱う事務所なので、一般の方の出入りもかなり多いそうです。ある日20歳くらいの若者が事務所を訪ね、「寝るところが無いから少し休ましてほしい」というお願いをしてきたそうです。彼が刑事事件をおこした際に弁護をしたことがあるのが姉の法律事務所だったそうです。一度刑事事件をおこした身、なかなか定職にもつけず困り果てて頼れるところは以前自分を担当してくれた熱心な弁護士さんしかいなかったという話です。彼は事務所のソファーで仮眠をとり、弁護士が買ってきたお弁当を食べ、お礼をいい去っていったそうです。

社会保障制度も必要、就業支援策は必要。一番大切なのは彼のような若者があきらめない社会。

人間、将来に可能性があると思えば努力をしますが、自分には可能性が無いと思うと努力さえ放棄してしまいます。制度だけでなく、自分を認め励ましてくれる人がいる社会。おかげ様、お互い様と支えてくれる仲間がいる社会。
昭和女子大学学長:坂東眞理子さんの言葉を引用