エンプロイアビリティという言葉【HR/vol.07】

「エンプロイアビリティ」という言葉、ぱっと聞いたときにあまり良いイメージがありませんでした。「雇われるに値する力」という言葉が働き手としてなんだか、点数つけられてる様で。

調べてみると、語源はエンプロイ(雇用)とアビリティ(能力)を組み合わせたもので、80年代のアメリカで生まれた言葉のようです。当時のアメリカでは技術環境や産業構造の変化に適応するために企業のダウンサイジングやリストラクチャリングが進められ、労働者の長期的雇用を保障できなくなったために、代わりに他社でも通用する能力(エンプロイアビリティ)を開発するための機会を提供するよー! という目的で作られたものだそうです。日本では2001年に厚生労働省が調査報告書から、一定の見解を出しているようです。そこでは労働者個人の能力を、3点に分けて・・・

1.職務遂行に必要な特定知識・技能など顕在化されたもの
2.協調性・積極性などの職務遂行にあたって個人が持つ思考特性や行動特性
3.動機、人柄、性格、信念、価値観等の潜在的な個人属性

1と2をベースに評価基準を作りましょう。としているようです。確かにどれも、会社が戦力を雇い入れる上ではとても大切な気がします。ただし、アメリカの「エンプロイアビリティ」は就業先の企業が雇い入れた個人の能力を企業が高めるための機会を提供するよ。という意味。日本ではそんな機会作りのための環境整備は遅れていて、働く個人の努力よって培われてきた職務遂行能力や業績が評価されるという意味での「和製エンプロイアビリティ」ともいえる言葉が一人歩きしている気がします。

もちろん、個人努力は大切。本当にそう思います。ただし、日本の場合は雇われる前の学生にも「エンプロイアビリティ」的な考えが浸透しているんではないかということ。働いてもいないのに、資格をとってみたり、無理な背伸びしてみたりっていうのがなんか見えてしまう。実際、中途の即戦力採用は別として、学生採用に関しては雇う側もすごい迷ってるんじゃないかな?と思ってしまうのは私だけでしょうか?
学生は大概が頑張って就職活動してくるわけです。しかも進学率が上がったからものすごい数が。明確な判断基準って実は無くて、選びきれないから仕方無く、縁故だったり、学閥だったり、リクルーター制度だったり、OB・OG訪問したり、会社説明会セミナーやSPIだのを導入、最終的にはフィーリングだったりするのかもしれません。これってお互い不幸な気がします。

「エンプロイアビリティ」を否定はしません。むしろもっと国家的に整備されて、個々が自己研鑽の指標にできるようになればいいと思うし、雇用者側は個人能力を最大限引き上げるための努力をすべきだと思います。それは雇用者がお金をかけたり、資格制度を作ったり、研修をするという形でなくていいと思うんです。

個人能力を伸ばしたい社員が外部セミナーに行きたいといえば、喜んで「行ってきなさい」というだけでもいい気がします。